2014年10月15日水曜日

長岡と十分杯の年表

權ゼミは十分杯が長岡藩にとって大事だった理由を探し続けてきましたが、少々の収穫がありましたので、皆様と共有したく、ここに公開します。

『牧野家家史』を基に作ったものですが、開府当時は財政に余裕があったようですが、3代藩主の時から財政が悪くなったようです。そこに、領民が持ってきたかわった盃である十分杯をみて、政治に活用したと思われます。

詳しくは以下の画像をクリックしてください。

ご参考までに、下の画像の中身は全く同じものです。




※12月16日 追記


  「蒼紫」となっておりましたが、正しくは「蒼柴」であったため修正しました。


  情報提供していただき感謝しております。これからもよろしくお願いします。




年表 ①

年表 ②

悠久祭での十分杯展示のお知らせ

今年も昨年同様、悠久祭で十分杯の展示を行います。

今年は初日(25日)の十分杯会議のため、展示は26日(日)だけにしました。

もちろん実演も行いますので、お楽しみにしてください。

お待ちしております。

詳しくは以下の画像をクリックしてください。



※12月16日 追記


 「蒼紫」となっておりましたが、正しくは「蒼柴」であったため修正しました。


  情報提供していただき感謝しております。これからもよろしくお願いします。



悠久祭での「十分杯会議」のお知らせ

 これまで權ゼミは、長岡藩ゆかりの十分杯の広報活動を4年間おこなってきましたが、それだけでは地域活性化にはつながらないと思うようになりました。そこで、各方面の専門家の方に来ていただき、「長岡の自慢である十分杯を、長岡の活性化にどのようにつなげるかという問題意識のもと、学生も入り議論を行いたいと思います。当日の会議は、「商品開発」、「認知度上昇」をめぐる議論になるかと思われます。詳細に関しては以下の画像をクリックしてください。

 当日は非常に興味深い議論が聞けると思われますので、足を運んでいただければと思います。

 どうぞよろしくお願いします。



越後長岡酒の陣での広報活動

10月4日(土)、アオーレ長岡で開催された「越後長岡酒の陣」で、長岡藩ゆかりの十分杯を地域の方に知っていただくためのPR活動を行いました。
十分杯とは、一定の量(八分目)を超えてお酒を注いでしまうと、中に入っていた全てのお酒が下に漏れてしまい、空っぽになってしまう杯です。長岡藩三代藩主 牧野忠辰(ただとき)公が、「物事は八分目の余裕をもって行動すれば万事うまくいく」と説いて自らを戒め、家来を戒めたと伝えられています 。
十分杯のブースでは、年表を用いた十分杯と長岡の歴史解説や、透明のプラスチックコップで作った十分杯でしくみを実演したり、「足るを知る」という老子の教えをお伝えしたり、今までよりも様々な面で充実した広報活動を行うことができました。認知度向上につながったと思います。
当日は多くのお客様からご来場いただき、本当にありがとうございました。また、貴重な掛け軸と長岡藩の歴史を詳しく説明してくださったアドバイザーの太刀川喜三様に感謝いたします。これからもいっそう頑張りたいと思います。

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2014年9月30日火曜日

10月4日(土)はアオーレに来てください。

今年も長岡の酒の陣が開催されます。

会場は昨年同様アオーレです。

また、昨年同様、私たちも十分杯の広報活動をするために参加します。

長岡市内の16の酒蔵が参加するそうです。

是非是非お越しください。

北越銀行創立110周年記念の十分杯

ここをクリックすると大きく表示されます。


長岡新聞に掲載されました

8月19日の長岡新聞に私たちの活動が掲載されました。

ご笑覧ください。

画像をクリックすると、読みやすくなります。

2014年9月16日火曜日

なぜ、「十分杯」なのか?

十分杯の広報活動で最もよく聞かれることが二つあります。

1.「えっ、不思議、なんでなんで?なんで漏れる?」

2.「なぜ、名前が八分杯ではなく、十分杯なのか?」

ここでは、2.の質問についてお答えします。1.の質問については別の日にお答えしたいと思います。


まず、結論から言うと、「八分で十分じゃないか」ということでしょう。


人は、「十分(=十割,100%)」を求めようとすれば、なかなか満足感を得ることはできません。

しかし、「八分(=八割,80%くらい)でもいいや」と割り切って考えてみたらどうでしょう?

今まで満足できなかったことも、より気楽に考えられるのではないでしょうか。

十分杯は、「八分」を超えると中身がもれてしまいます。つまり、八分以上は「求めすぎ」なのです。

このことから、「八分で十分(=充分)」ということになります。

これが「十分杯」の由来だろうと、我々は考えます。

これゆえ、十分杯は幸せにする杯とも言えるのではないでしょうか。


そして、この面白い杯が「十分杯」という名称になったのは、おそらく長岡藩3代藩主牧野忠辰公が領民から預かった杯を見て詩を詠んだことから始まったと考えられます。

今のところ、それ以外の記録は見当たりません。

ところで、面白い話があります。例の水戸黄門との関わりであります。

水戸黄門は「九分に足らば、十分にこぼるると知るべし」という言葉を残してあります。

水戸黄門と牧野忠辰は40歳の年の差があり、江戸で直接教わった可能性があります。

(この辺は憶測にすぎませんが。)

十分杯という名の由来は水戸黄門―牧野忠辰つながりかもしれませんね。

9月13日の広報活動

9月13日の土曜日の午後にアオーレの大画面の下で十分杯の広報活動をしました。

週末だったということもあり、他のイベントがあったということもあり、大勢の方々に来ていただきました。

埼玉から来られた方もいらっしゃいましたし、栃尾の物産展に来られたついでに我々のところに足を運んでくださった方もいらっしゃいました。

そしてそして、なんと河童の十分杯を作られた方にも来ていただきました。

ご来場いただいた皆様、どうもありがとうございました。

当日はまた、私たちの活動を大画面に映していただき、より多くの方たちに来ていただいたと思います。市役所の皆様、ありがとうございました。









2014年9月11日木曜日

9月13日(土)の十分杯広報活動

9月13日の土曜日の1時~5時までアオーレのナカドマで十分杯の広報活動を行います。

ご来場の方には以下の写真の紙コップ十分杯を用意しております。

面白いことに、十分杯に出会うと少しばかり幸せになれます。

是非ご来場になり、少しばかりでも幸せになってください。


2014年8月7日木曜日

長岡大学 Open Campus への誘い

明日、8月8日(金)長岡大学では、オープンキャンパスを行います。

きっと、将来への大きな発見があると思います。


↓くわしくはこちら
http://www.nagaokauniv.ac.jp/

8月の広報活動


8月4日(月)に、今年度3回目の広報活動を行いました。


今回も平日開催ですが、前回とは異なる要素がありました。



それは、

「長岡まつりの翌日」ということ。



そのこともあってか、開始時点のアオーレは、平日にしては若干人気が多いように感じられました。




そして、活動開始。






























































画像からは伝わりにくいかと思いますが、

このように、少しずつですが定期的にお客様が来て下さり、合計人数では予想以上に多くの方に十分杯を紹介することができました。


今回は、「まつりの翌日」ということもあり、県外からお越しの方にも十分杯を紹介することができました。


また、足を止めて解説をじっくりと聞いて下さるお客様も多く、説明している私たちも気合が入り、大きな達成感を得ることができました。


次回の広報活動は、9月中に行う予定です。
ぜひ、多くの皆様に、長岡ゆかりの十分杯について知っていただきたいと思っております。

今後とも、よろしくお願いいたします。

7月の広報活動


7月22日(火)に今年度2回目の広報活動を行いました。

今回は、私たちにとって初めての「平日開催」でした。





↑北越銀行110周年記念の十分杯など















↑マス型、金属十分杯など

奥にあるのは、自作の紙コップ十分杯



























今回から、「十分杯」の題字も加わりました。






準備が終わり、午後3時頃から活動スタート。




ですが...




平日なのであまり人がいません。






終始このような感じで、2回目の広報活動は終わりました。



今回の活動では、平日に活動することの難しさを実感しました。


また、「市役所」という場所柄か、行きかう人々も何かしらの用事があって来ているように思われ、
そんな中で私たちの活動に足を止めてもらうのは難しいということも考えさせられました。


それでも、真剣に話を聞いて下さるお客様もおられることは事実です。

また、今後の広報活動も平日に行うことが多くなるので、今回の経験を次回以降に反映して、より良いスタイルを探っていきたいと思います。

6月の広報活動


6月21日(土)に、今年度1回目の広報活動を行いました。




本物の十分杯や、「足るを知る(知足)」についての資料も展示しました。


↑今回展示した十分杯(一部)

















↑「われ、ただ足るを知る」の教えについての資料






















週末ということもあって、会場のアオーレ長岡には多くの人が集まっていました。










しかし、



















なかなか私たちの展示を見に来てくれる方は現れず...



それでも、ねばって待っていると、



















ちらほらとお客様が!


さらに、



















夕方になると、他のイベントを見に来ていたお客様が、続々と私たちの展示を見に来て下さいました。




今回は、新メンバーの私たちにとって初めての広報活動でした。
何もかも手探りの状態でしたが、よい経験になったと感じています。

今後も広報活動は、続けていく予定です。
ぜひ、多くの皆様にお越しいただき、「長岡と十分杯」について知っていただきたいと思っています。

2014年7月24日木曜日

世界の十分杯


第1項.中国の欹器


 中国の欹器にはサイフォンの原理は活用されていない。しかし、戒めの杯としては、もっとも古いものといえる。ここでは、面白さよりは教訓を重視し、まず中国の欹器から紹介していきたい。
 欹器は日本語ではイキ、中国語ではyi1qi4(イーチ)、韓国語では의기(ウイギ)と発音する。そして、宥坐之器(ユウザノキ)という別の名称もある。この欹器が有名になったのは孔子(紀元前551-紀元前479)にまつわるからであるが、その逸話を紹介したい。

 孔子は弟子たちと一緒に魯国にあった齊国の桓公の廟を参拝しに行った時に、儀式の際に使う儀器を目にした。ところが、形が変わっており、その所以について廟守りに聞いた。

孔子:“あれは何の器ですか。”

廟守り:“桓公(?-BC643、中国の春秋戦国時代の齊国の王だった人物。 当時の中国には約3,000の大小の国があったが、その中でも大きな国は五つほどだったようである。 それらの国を春秋五覇と言ったが、齊国はそのうちの一国だった。そして、桓公はその齊国の君主だった。) がいつも近くに置き、座右の銘にしていらっしゃった器(宥坐之器;宥という字は一般的に許すという意味がありますが、 右の意味もあります。それで、いつも右において心の乱れが生じたときに見る物という解釈ができるかと思います。)です。 ”

孔子:“わかった。それの使い方がわかった。”

孔子は弟子たちを見回りながら、語った。

孔子:“水を器に注いでみなさい。”

一人の弟子が水を汲んできてゆっくりと注いだ。みんな息を飲んで見ていた。
空っぽの器は水が少し入ると、傾き始めた。そして、 器の真ん中まで水が入ったら安定して正しい形になり、 器がいっぱいに近づくや否やひっくり返ってしまい、中の水が全部消えてしまった。
皆、大変珍しくまた、面白くて何も言えず、孔子を見るばかりだった。孔子は手を打ちながら感嘆した。

孔子:“そうだね。世の中には満ちてひっくり返らないものはないものだね”

>子路:“先生、この器が空いていたときは傾いており、 真ん中ぐらいに水が入っていたときは正しく立ち、満ちた時はひっくり返ってしまいましたね。 ここに何の道理があるのでしょうか。”

孔子が弟子に答えた。

孔子:“そうとも。人もこの傾いた器と同じである。 聡明で博識な人は自信の愚かな面を見なければならないし、 功績が高い人は謙虚で遠慮しなければならない。また、勇敢な人は恐れなければならなく、 豊かな人は節約しなければならない。謙虚に退けば損をしないということもこれと同じ道理だ。”

原文は以下の通り

孔子観於魯桓公之廟、有欹器焉。

孔子問於守廟者曰、此謂何器。

守廟者曰、此蓋為宥坐之器。

孔子曰、吾聞宥坐之器者、虚則欹、中則正、満則覆。

孔子顧謂弟子曰、注水焉。

弟子挹水而注之、中而正、満而覆、虚而欹。孔子喟然而嘆曰、吁。

悪有満而不覆者哉。

子路曰、敢問持満有道乎。

孔子曰、聡明睿智、

守之以愚、功被天下、守之以譲、勇力撫世、守之以怯、富有四海、守之以謙。

此所謂損之又損而之之道也。

『荀子』の宥坐編

孔子とその弟子たち

 http://www.geocities.jp/sybrma/76ninomiyaouyawa.maki3.html

欹器

 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/2c/a470a409abe18f2cceac1209620a781c.jpg

 要するに、欹器は、心の乱れが起きることを戒めるために近く(右)においておいた物である。 そのため、その教訓として「足るを知る」が強調されている。 人間を動かすのは利害であり、その根底には欲があると思う。 ところが、その欲が身の程を過ぎてしまったら、それまでの貯えが全部消えてしまう恐ろしい状況になってしまう。 腹八分目という言葉はまさに十分杯のメッセージと重なるところがある。かといって、 何もかも遠慮するということはないだろう。あくまで身の程を知り、自身を戒め、節制するということに尽きる。


第2項.ピタゴラス杯


 十分杯の由来は今から2500年前のギリシャの数学者で哲学者だったピタゴラス(紀元前582年 – 紀元前496年)にあると言われている。 そのため、この杯に彼の名前がついている。ちなみに、一個当たりの値段は約1,000円(9.90 €)である。

ピタゴラス杯

 http://www.flickr.com/photos/86682180@N00/5792619533/in/set-72157626789537972

ピタゴラス杯2

 http://fountaceramics.gr/en/Pythagoras%20cup/Gold%20archaic%20presentations.html

ピタゴラス杯3

 http://recedingrules.blogspot.com/2010/03/cup-of-tantalus.html


第3項.朝鮮半島の戒盈杯


 朝鮮半島にどのようなルートで伝わったかは不明だが、日本の十分杯と全く同じ仕組みの杯がある。 その名は盈ことを警戒するという意味を持つ戒盈杯(ゲーヨンベ)である。 記録上では、朝鮮の後期に作られたようである。白磁職人が大もうけをした後、 放蕩な生活をしたあげく、多くのものを失った。そこで、初心に戻り、 全身全霊で作り上げたものが戒盈杯だと言われている。 そして、朝鮮後期の巨商が自身を戒めるために常にそばに置いたと言われている。 韓国では、政治家からのプレゼント、新婚さんへのプレゼントとして普及し始めているようである。 しかし、まだまだ日本同様、知名度が低いのは同じである。

戒盈杯1
戒盈杯2

戒盈杯3

 http://blog.naver.com/sdgrinding?Redirect=Log&logNo=120074543906

戒盈杯4
戒盈杯5

 http://blog.naver.com/sdgrinding?Redirect=Log&logNo=120074543906


↓ この戒盈杯は飾り(突起)がない。
戒盈杯6

 http://blog.naver.com/bandri25?Redirect=Log&logNo=57751562


 ↓ この戒盈杯は飾りを壁側に持ってきた斬新なデザインである。


http://www.dailian.co.kr/news/news_view.htm?id=215892&sc=naver&kind=menu_code&keys=4

2014年7月23日水曜日

長岡と十分杯

 長岡藩を根底から支えていた精神は二つあった。

 一つが常在戦場(常に戦場にいる心構えを持って生き、ことに処す)の精神であり、もう一つが十分杯(戒め、節倹)の精神である。

 長岡藩と十分杯の出会いは三代藩主牧野忠辰(まきのただとき1665―1722)の時代にまで遡る。牧野忠辰が領民(塚越、おそらく庄屋)の持参した十分杯に感銘を受け、次の詩を詠んだことから始まる。以下は藩主作の序文と詩である。



十分盃の銘并びに序

或るひと十分盃を以て予に示す。

夫れ惟んみれば、十分盃の器為る、其の八分なれば則ち溢れず、盈つれば則ち皆漏る。

諸を人の見志に比するも亦然り。

位高ければ則ち必ず悔有り。

心敬せざれば則ち必ず過ち有り。

故に易に曰く「天道盈つるを虧く。亢龍悔有り」と。

其れ斯の謂ならんか。

銘に云く

位高易傲     位高ければ傲り易く

意肆来悔     意肆なれば悔来る。

物理爾皆     物理皆爾り

觀十分杯     十分杯を觀よ。

丁卯(四年、1687年)孟冬(初冬)

檪軒悦咲子(牧野忠辰)

(後略)

※この資料は木のマスの十分杯を製作し、また、郷土史にも詳しい長岡歯車資料館の内山弘館長の月14日十分杯を愉しむ会主催の講演内容に基づいている。



 序文や詩を読む限り、藩主は藩士や領民に戒めや節倹の精神を持ち、日々を送ってほしかったようである。

 これだけきちんとした歴史と素晴らしいメッセージがある文化遺産の十分杯だが、残念ながら長岡の市民の認知度は非常に低い。

 記念品としては、牧野忠辰を祭る蒼柴(あおし)神社の県社昇格記念品、阪之上小学校の100周年記念品、長岡高校の同窓会の記念品として配られたことがある。また、結婚式の引き出物として配られる場合もある。

十分杯の仕掛け

 十分杯にはサイフォン(ギリシャ語でチューブ、管)の原理というものが応用されている。 十分杯の底から水が漏れるのを理解するには、このサイフォンの原理というものを理解しなければならない。

 サイフォンの原理とは、サイフォン(チューブ、管)を使って、高いところの水を低いところへ移すしくみのことである。 このサイフォンの原理を理解するために、まず、コップ(入れ物)の中の水を外に移すにはどうしたらいいかを考えてみよう。

 サイフォンの原理が仕掛けられていない普通のコップの場合は傾けてやるしかない。 それ以外の方法として、くしゃみで救い上げる方法もあるが、全ての水を救い上げられるわけではない。 しかし、サイフォンの原理を活用すると、傾けずに殆どすべての水を出すことができるのである。 コップ(入れ物)の中に外と通じるパイプをつなげるのである。 十分杯の場合は、パイプを隠すために突起となっているのである。 つまり、突起の中を管が貫通しているのである。

 地球上に存在する全てのものは地球に引っ張られているため、 何の支えもなければ必ず地面や水面に落ちるようになっている。 当然、水も例外ではない。ここで、下に示した図を見てほしい。 左図のコップの水には重力は働くが、水を囲む高くて丈夫な壁の存在と、 パイプの中の水圧と大気圧の大きさが同じであるため、 水は普通のコップと同じように傾けない限り移動させることはできない。

 ところで、このコップに水を注ぎ足すと考えてみよう。どうなるだろうか。
 
 コップの中の水が増えるのと同時に突起の中の管内の重力が高まるようになる。 重力が高まるにつれて水圧も高まる。そして、突起内の管の最高点まで水が到達すると、 水圧>大気圧となり、重力が働き、水は漏れる。



十分杯の仕組み

(出所)http://blog.naver.com/kyc_kyj?Redirect=Log&logNo=100097786820


 このサイフォンの原理は日常生活の様々な場面で遭遇することができる。 トイレの便器、灯油ポンプ、洗面台の下のくねくねパイプ、ダムの放水、水槽、消化器等々である。