2015年7月24日金曜日

売り物は酒ではない。酒を楽しむ長岡の文化だ!

先週からとても忙しくなった。

授業、試験問題作り、学会のお手伝い、作成した十分杯リーフレットの配布、通夜、打ち合わせとその準備、学内論叢への投稿、シュクラ乗車の日程調整。。。

手に超えることをするとパンクする。

約束を忘れていたり(2件)、事務方に迷惑をかけたり(1件)の1週間だった。

誰のせいでもなくこちらのせいである。

ふろしきを広げたのは他でもない私だからである。

しかし、いいことがより多かった。

ゼミ生の活動がまた新潟日報に記事となった。嬉しかった。

それ以外に、日本酒で長岡の活性化を考えていらっしゃる小熊市議員やその他の熱い方々に会えた。

見分が広がった。

私たちは十分杯だけでやってきたわけだが、我々が行う活動の位置づけができた。具体的には後日述べたい。

実は同じ日に小熊先生には2度お会いした。朝はリーフレットの件で、午後はお家での勉強会で。

土曜の朝だったが、食事がほとんど終わったところに電話が鳴った。

出てみたら小熊先生だった。

この方は前の市議会の議長を歴任されて、日本酒乾杯条例を作られた方でもある。

要するに、長岡では大物である。

とりあえずお詫びして、アオーレに向かった。小熊市議、学生1人が待っていた。

約束時間から20分遅れていたから、おそらく30分ほど待っていらっしゃったかもしれない。

何一つ怒られなかった。怒られる覚悟はできていたのに。

それどころか、午後ご自宅で勉強会をやるから来てもらえないかと誘いの言葉をいただいた。

勉強会は大いに勉強になった。

リーフレットも増刷をしなければならないことが分かった。

来週は小熊先生と栃尾に行くこととなった。

長岡市内に16の坂蔵があるが、そちらの組合の会長さんを紹介してくださるためだ。

私なんか投票権もないのに。。。感謝感謝。

また、お家の雰囲気にとても驚いた。

歴史ある、伝統的な日本の家という感じである。

半分は修学旅行をしたような感じだ。

また、火曜日は前の土曜日の勉強会で感じたことや今年の活動がいまいちということもあり、意見交換会を開いた。

テーマは悠久山を観光資源化できないかだった。

相互タクシーの小川社長、長岡コンベンション協会の西潟次長、本村係長、長岡市の戸田係長、本学コーディネーターの脇田さん、そして、ゼミ生。

終わってみたら3時間もやった。

学生相手に一生懸命話をしてくださり、聞いてくださり、その真摯さに感動した。

小川社長はほんの十分前の交渉だったにもかかわらず飛んできてくださった。

こちらはお茶しか出せなかったのに。。。

恩返しのためにも一生懸命活動しなければと思った。

活動と関連して、大きな収穫は長岡市が観光面で力を入れているのが日本酒だということである。

ますます、長岡市内での我々の活動の位置づけが明確になってきた。

今後の方向性もほぼ決まった。

十分杯や日本酒にとどまるのではなく、酒の文化を売っていくことだ!

今もとんでもなく忙しけど、大きな収穫があった2週間だった。

万歳、万歳、万歳!

2015年7月21日火曜日

相互タクシーの社長からいいこと教えていただいた。

長岡のタクシー会社の中に相互タクシーという会社がある。

今日のゼミは十分杯だけではなく、より広げて悠久山を観光資源として活用するにはどうしたらいいかという問題意識の下で長岡観光コンベンション協会、長岡市役所観光企画課、相互タクシーの社長さんに来ていただいた。

相互タクシーには先週電話を差し上げたがいらっしゃらなかったので、もう一度お電話を差し上げた。

午前中はタイミング悪くお留守ということで、こちらの番号をお伝えしておいた。

午後社長さんからお電話が入った。

ゼミに来ていただいて私どもの考え方について、ご意見を伺いたいと申し上げた。

社長さんはこれから飛んでいくとおっしゃって電話を切られた。

研究室で資料を作成していて印刷が思うようにならなくて、ばたばたしていた。

猫の手も借りたいほどだったが、学生たちとはこういう時に限って連絡が取れない!

1階に行って三方先に案内した。

そして、PCとプロジェクターをいじる間に社長さんが来られた。

本当に飛んで来てくださった。

会の内容については後日載せたいが、ここでは社長さんの一言だけを紹介したい。

「良い付き合いをするためには、自分を高めなければならない。」

「また、本も読まなければならない。」

感謝、感謝です。

ー樂九ー

2015年7月17日金曜日

長岡大学に虹がかかりました。




昨日(2015.07.15)の夕方7時頃の写真です。

我が小さい長岡大学にいいことが起きるのでしょうか。



酒には勝てない!

酒はほどほどがいいんだよということをわからない人っていない。

飲む前までは大体はそうである。

しかし、飲み始めて酒気が回り始めたらそういうわけにはいかない。

自分の体を支配するのはもはや自分ではないからである。

酒くらいには勝てるというのは単なる願望でしかない。

以前、新潟市で用があって帰りに一杯だけのつもりと、付き合いという名目で顔を出した酒席が大体は最終新幹線の出発時刻ギリギリまで頑張っていた。

反省も燕三条駅までである。

なぜなら、起きてみると越後湯沢だからである。寝る間は反省も後悔もない!

それで、数回湯沢のホテルにお世話になったことがある。

一度は東京のどこかの警察署にお世話になったこともある。

それでもしばらくは飲んでいた。勝てるつもりで。

私はどうも自身について過大評価をするとんでもない癖がある。

おそらくその理由は悪い記憶を長持ちしないからだと自己分析する。

言い換えると、都合のいい記憶だけが頭に残るからである。

あれだけいろんな失敗を知ってきたのに。。。

だから過去の失敗を思い起こしてくれる傷跡は完治しない方がいい。

それを見て襟を正すからである。

その意味において十分杯は大事である。

私には傷跡の役割をしてくれている。

実はここ何年間湯沢に泊まったこともなければ、それ以外の失敗も全くなし。

自慢したい。(^◇^)

1週間くらいは飲まなくても平気!でも、金曜の夜は辛い。

十分杯の影響?

それは大だと思われるが、もう一つの理由がある。

歳のせいか、酒の受けが悪くなっているからである。

しかし、ワインはなかなか受けがいい。日本酒も吟醸以上は受けがいい。

二日酔いもない。しかし、720mlをその日に空けたりはしない。

せいぜい半分まで。それでも贅沢を感じる。だから、ゆっくり味わいたい。冷にして。

最近特に視力がおかしい。

メガネの問題でもなく、金に目が眩んでいるからでもない。

歳のせいと、酒のせい以外は思い当たらない。

ワインももっと減らしていきたい。

ベロが欲しがっていることをすべて聞いてあげてはならん!

十分杯を思い浮かびながら、たまに楽しもう。楽しく!

ー樂九ー

十分杯を思い浮かべても思うようにならない方のために越後湯沢駅内の風景を2枚紹介したい。



こうならないように。。。

ロレックスと十分杯

楽九は韓国生まれ、韓国育ちである。

大学時代までを韓国で過ごした。

生まれたところは、皆さんはなかなか想像できないど田舎。慶尚北道安東郡の右端の村。

電気が通ったのが小1、バスが初めて来たのが小4、アスパルトができたのが約10年前。

村に中学校がなかったので、入学式から自炊。ちなみに、当時は義務教育ではなかった。

そのため、中学校になんとか入学はしたものの、やめていく友人が何人かいた。

自炊の話に戻ろう。練炭の上に鍋を乗せてご飯を炊いた。

当時、周りから最も注意されたのが二酸化炭素中毒で、最も大変だったのがご飯を炊くことだった。

要するに、火加減が難しいのである。

電気炊飯器もではじめた頃だったが、停電も頻繁にあったもので、結果的に練炭のほうが我々自炊生には評判が良かった。

中学入学前に教えてもらうのが練炭の火加減だったが、うちの村で練炭を利用する家はなかったため、実に困った。

なぜなら、うちの村はマキを燃料としていたからである。

なかなか想像できないだろうが、楽九はそういうところで育った。

高校時代は大邱という当時韓国3番目の都会で過ごした。

何一ついい思い出がない。
ひとクラス約60人✖️1学年15クラスということで、1学年で900人。

部活?とんでもない。夜9時まで学校にいなければならなかった。

高校時代というよりは収容所時代。

大学も同じところで過ごした。

両親は大変だった。

ダムが出来て田舎から出てきて、リヤカーを引きながら商売を始めた。

当時楽九は家庭教師をしていた。そこそこいい収入だった。

2年が終わってから兵隊へ行ってきた。諸般の事情でちょうど半年だけ。

3年に復学して焦ってやったのが日本語だった。楽しかった。

3年が終わって休学して東京の日本語学校で1年間勉強した。

ドカタ、ティッシュ配り、皿洗い。。。

この1年間がむしゃら勉強した。とにかく勉強した。

そして、復学して日本語で受ける試験はほとんど受けてみた。

その中に、新潟県費留学生選抜試験というのがあり、運良く受かった。

とても嬉しかった。今でも鮮明に憶えている。

勉強とは縁がないと思っていたところ、大学院の試験も受かり、また国費留学生に選抜された。

私なんかに国費留学?

図々しいのはじゅうじゅうわかっていたが、四方八方が塞がっていたので勉強した。

新大時代はいい先生といい仲間に巡り合った。

しかし、今の時点で振り返ってみると、問題の本質に近づく研究はできなかった。

理由は幾つか考えられるが、難しい問題やグラフを理解するのが大事だと思っていたからだと思う。

さらに、その原因は読書量の少なさとオリジナリティーの大事さを十分わかっていなかったからだと今は思う。

そして、縁あって長岡大学で教鞭をとることとなった。もう15年目である。

おかげさまでなんとか生活ができるようになった。

そして、研究活動もそこそこやった。

ある機関から委託調査を受けて、それなりの収入が入った。

それで、ロレックスを買った。子供の時からロレックスの名は知っていた。

成功のシムボルだという話を数回耳にしたことがあった。

どこかに自分を成功した人間のグループに無理やり高級時計という入場券で入れたかったかもしれない。

今考えると笑ってしまうけど、前半で長々と書いたように、私のような成長期を過ごした人にはあるかもしれない。

そして、もう一つの別の理由もある。

楽九は中小企業や製造業の技術について研究している。以前から不思議だった。

テレビを見るとものづくりにおける日本の技術は世界一だと自慢しているけど、時計やブランド物はほとんどが欧米の物ではないかと思っていた。

なぜ、日本は作れないだろうか。

なぜ、日本人や世界中の人たちはブランド物の中で特に欧米の物を好む理由は何かが疑問になっていた。

それなら自分で使ってみようと思った。

お金もあったし。自分なりの答えは見つかった。

技術、デザインのオリジナリティー、実用性(蛍光と日付)。4年間大事に使った。

それを先月に手放した。

私は先述した問題意識があってロレックスをつけているが、十分杯の広報活動をする上で、何人かの人たちはロレックスをみて矛盾を感じたかもしれない。

誰よりも後ろめたかったのは実は私自身だった。

今は腕時計がない。目がかなり悪いため、腕時計がないと困る場面が多い。

我慢の領域を超えたら、一つ考えたい。

とにかく、ロレックスを手放してから、なぜかわからないけど心がすっきりした。

晴れ晴れとしてきたというのが近い表現かもしれない。

どうでもいい物を持つこと、所有することから解放れた。

今は完全に自由の身となった。

ロレックスは本当にいい時計だが、それ以上に負担を感じない所有や自由の方がいい。

十分杯が私にくれたのは自由である。十分杯様、万歳!

ー樂九ー