長岡と十分杯

 長岡藩を根底から支えていた精神は二つあった。

 一つが常在戦場(常に戦場にいる心構えを持って生き、ことに処す)の精神であり、もう一つが十分杯(戒め、節倹)の精神である。

 長岡藩と十分杯の出会いは三代藩主牧野忠辰(まきのただとき1665―1722)の時代にまで遡る。牧野忠辰が領民(塚越氏、おそらく庄屋)の持参した十分杯に感銘を受け、次の詩を詠んだことから始まる。以下は藩主作の序文と詩である。



十分盃の銘并びに序

或るひと十分盃を以て予に示す。

夫れ惟んみれば、十分盃の器為る、其の八分なれば則ち溢れず、盈つれば則ち皆漏る。

諸を人の見志に比するも亦然り。

位高ければ則ち必ず悔有り。

心敬せざれば則ち必ず過ち有り。

故に易に曰く「天道盈つるを虧く。亢龍悔有り」と。

其れ斯の謂ならんか。

銘に云く


位高易傲     位高ければ傲り易く

意肆来悔     意肆なれば悔来る。

物理爾皆     物理皆爾り

觀十分杯     十分杯を觀よ。

丁卯(四年、1687年)孟冬(初冬)

檪軒悦咲子(牧野忠辰)

(後略)

※この資料は木のマスの十分杯を製作し、また、郷土史にも詳しい長岡歯車資料館の内山弘館長の講演内容(十分杯を愉しむ会主催)に基づいている。


 序文や詩を読む限り、藩主は藩士や領民に戒めや節倹の精神を持ち、日々を送ってほしかったようである。

 これだけきちんとした歴史と素晴らしいメッセージがある文化遺産の十分杯だが、残念ながら長岡の市民の認知度は非常に低い。

 記念品としては、牧野忠辰を祭る蒼柴(あおし)神社の県社昇格記念品、阪之上小学校の100周年記念品、長岡高校の同窓会の記念品として配られたことがある。また、結婚式の引き出物として配られる場合もある。

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