十分杯の広報活動で最もよく聞かれることが二つあります。
1.「えっ、不思議、なんでなんで?なんで漏れる?」
2.「なぜ、名前が八分杯ではなく、十分杯なのか?」
ここでは、2.の質問についてお答えします。1.の質問については別の日にお答えしたいと思います。
まず、結論から言うと、「八分で十分じゃないか」ということでしょう。
人は、「十分(=十割,100%)」を求めようとすれば、なかなか満足感を得ることはできません。
しかし、「八分(=八割,80%くらい)でもいいや」と割り切って考えてみたらどうでしょう?
今まで満足できなかったことも、より気楽に考えられるのではないでしょうか。
十分杯は、「八分」を超えると中身がもれてしまいます。つまり、八分以上は「求めすぎ」なのです。
このことから、「八分で十分(=充分)」ということになります。
これが「十分杯」の由来だろうと、我々は考えます。
これゆえ、十分杯は幸せにする杯とも言えるのではないでしょうか。
そして、この面白い杯が「十分杯」という名称になったのは、おそらく長岡藩3代藩主牧野忠辰公が領民から預かった杯を見て詩を詠んだことから始まったと考えられます。
今のところ、それ以外の記録は見当たりません。
ところで、面白い話があります。例の水戸黄門との関わりであります。
水戸黄門は「九分に足らば、十分にこぼるると知るべし」という言葉を残してあります。
水戸黄門と牧野忠辰は40歳の年の差があり、江戸で直接教わった可能性があります。
(この辺は憶測にすぎませんが。)
十分杯という名の由来は水戸黄門―牧野忠辰つながりかもしれませんね。
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